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Tokyo Metropolitan Assembly

平成二十五年東京都議会会議録第十一号

平成二十五年九月十八日(水曜日)
 出席議員 百二十七名
一番小林 健二君
二番加藤 雅之君
三番かんの弘一君
四番山内  晃君
五番栗山よしじ君
六番小松 大祐君
七番松田やすまさ君
八番大津ひろ子君
九番石川 良一君
十番みやせ英治君
十一番おときた駿君
十二番小松 久子君
十三番西沢けいた君
十四番米倉 春奈君
十五番白石たみお君
十六番斉藤やすひろ君
十七番栗林のり子君
十八番まつば多美子君
十九番伊藤こういち君
二十番河野ゆうき君
二十一番柴崎 幹男君
二十二番ほっち易隆君
二十三番舟坂ちかお君
二十四番清水 孝治君
二十五番島崎 義司君
二十六番神野 次郎君
二十七番やながせ裕文君
二十八番田中 朝子君
二十九番塩村あやか君
三十番山内れい子君
三十一番中山ひろゆき君
三十二番田中  健君
三十三番里吉 ゆみ君
三十四番和泉なおみ君
三十五番尾崎あや子君
三十六番大松あきら君
三十七番吉倉 正美君
三十八番遠藤  守君
三十九番中山 信行君
四十番木村 基成君
四十一番北久保眞道君
四十二番高椙 健一君
四十三番栗山 欽行君
四十四番大場やすのぶ君
四十五番和泉 武彦君
四十六番小宮あんり君
四十七番三宅 正彦君
四十八番吉住 健一君
四十九番桜井 浩之君
五十番野上ゆきえ君
五十一番上田 令子君
五十二番西崎 光子君
五十三番小山くにひこ君
五十四番あさの克彦君
五十五番新井ともはる君
五十六番徳留 道信君
五十七番河野ゆりえ君
五十八番小竹ひろ子君
五十九番上野 和彦君
六十番高倉 良生君
六十一番橘  正剛君
六十二番野上 純子君
六十三番谷村 孝彦君
六十四番山崎 一輝君
六十五番崎山 知尚君
六十六番川松真一朗君
六十七番近藤  充君
六十八番堀  宏道君
六十九番鈴木 錦治君
七十番きたしろ勝彦君
七十一番田中たけし君
七十二番鈴木 隆道君
七十三番神林  茂君
七十四番早坂 義弘君
七十五番両角みのる君
七十六番島田 幸成君
七十七番今村 るか君
七十八番斉藤あつし君
七十九番大西さとる君
八十番畔上三和子君
八十一番大島よしえ君
八十二番松村 友昭君
八十三番東村 邦浩君
八十四番小磯 善彦君
八十五番鈴木貫太郎君
八十六番木内 良明君
八十七番高木 けい君
八十八番村上 英子君
八十九番高橋 信博君
九十番鈴木 章浩君
九十一番秋田 一郎君
九十二番鈴木あきまさ君
九十三番山加 朱美君
九十四番高橋かずみ君
九十五番相川  博君
九十六番山田 忠昭君
九十七番林田  武君
九十八番服部ゆくお君
九十九番こいそ 明君
百番中村ひろし君
百一番尾崎 大介君
百二番石毛しげる君
百三番植木こうじ君
百四番かち佳代子君
百五番曽根はじめ君
百六番藤井  一君
百七番長橋 桂一君
百八番中嶋 義雄君
百九番ともとし春久君
百十番田島 和明君
百十一番中屋 文孝君
百十二番宇田川聡史君
百十三番吉原  修君
百十四番高島なおき君
百十五番古賀 俊昭君
百十六番立石 晴康君
百十七番野島 善司君
百十八番三宅 茂樹君
百十九番川井しげお君
百二十番吉野 利明君
百二十一番野村 有信君
百二十二番内田  茂君
百二十三番酒井 大史君
百二十四番山下 太郎君
百二十五番清水ひで子君
百二十六番大山とも子君
百二十七番吉田 信夫君

 欠席議員 なし

 出席説明員
知事猪瀬 直樹君
副知事安藤 立美君
副知事秋山 俊行君
教育長比留間英人君
東京都技監都市整備局長兼務藤井 寛行君
知事本局長前田 信弘君
総務局長中西  充君
財務局長中井 敬三君
主税局長新田 洋平君
生活文化局長小林  清君
警視総監西村 泰彦君
スポーツ振興局長細井  優君
環境局長長谷川 明君
福祉保健局長川澄 俊文君
産業労働局長塚田 祐次君
建設局長横溝 良一君
港湾局長多羅尾光睦君
会計管理局長松田 芳和君
交通局長中村  靖君
水道局長吉田  永君
消防総監大江 秀敏君
下水道局長松浦 將行君
青少年・治安対策本部長河合  潔君
病院経営本部長醍醐 勇司君
中央卸売市場長塚本 直之君
選挙管理委員会事務局長影山 竹夫君
人事委員会事務局長真田 正義君
労働委員会事務局長岳野 尚代君
監査事務局長松井多美雄君
収用委員会事務局長目黒 克昭君

九月十八日議事日程第一号
第一 第百六十三号議案
  災害派遣手当等の支給に関する条例の一部を改正する条例
第二 第百六十四号議案
  特別区における東京都の事務処理の特例に関する条例の一部を改正する条例
第三 第百六十五号議案
  東京都震災対策条例の一部を改正する条例
第四 第百六十六号議案
  東京都議会議員及び東京都知事の選挙における選挙運動の公費負担に関する条例の一部を改正する条例
第五 第百六十七号議案
  東京都分担金等に係る督促及び滞納処分並びに延滞金に関する条例の一部を改正する条例
第六 第百六十八号議案
  東京都立学校設置条例の一部を改正する条例
第七 第百六十九号議案
  東京都指定障害児通所支援の事業等の人員、設備及び運営の基準に関する条例の一部を改正する条例
第八 第百七十号議案
  東京都風致地区条例の一部を改正する条例
第九 第百七十一号議案
  都立江東地区第二養護学校(仮称)(二十五)改築工事請負契約
第十 第百七十二号議案
  都立小金井北高等学校(二十五)改修工事請負契約
第十一 第百七十三号議案
  都立第五商業高等学校(二十五)体育館棟その他改築工事請負契約
第十二 第百七十四号議案
  首都大学東京日野キャンパス(二十五)実験棟群改築その他工事請負契約
第十三 第百七十五号議案
  首都大学東京日野キャンパス(二十五)実験棟群改築その他空調設備工事請負契約
第十四 第百七十六号議案
  中川護岸耐震補強工事(その二十五)請負契約
第十五 第百七十七号議案
  平成二十五年度十号地その二多目的内貿岸壁(-(マイナス)八・五m)桟橋整備工事請負契約
第十六 第百七十八号議案
  若潮橋鋼けた製作・架設工事請負契約
第十七 第百七十九号議案
  古川地下調節池換気設備工事(その一)請負契約
第十八 第百八十号議案
  八ッ場ダムの建設に関する基本計画の変更に関する意見について
第十九 諮問第三号
  地方自治法第二百六条の規定に基づく審査請求に関する諮問について
第二十 地方自治法第百七十九条第一項の規定に基づき専決処分した都民の健康と安全を確保する環境に関する条例の一部を改正する条例の一部を改正する条例の報告及び承認について
議事日程第一号追加の一
第一 東京都名誉都民の選定の同意について
  (二五財主議第二七七号)
第二 東京都名誉都民の選定の同意について
  (二五財主議第二七八号)
第三 東京都名誉都民の選定の同意について
  (二五財主議第二七九号)

   午後一時開会・開議

〇議長(吉野利明君) ただいまから平成二十五年第三回東京都議会定例会を開会いたします。
 これより本日の会議を開きます。

〇議長(吉野利明君) まず、会議録署名議員の指名を行います。
 会議録署名議員は、会議規則第百二十四条の規定により、議長において
   二番   加藤 雅之君 及び
   六十五番 崎山 知尚君
を指名いたします。

〇議長(吉野利明君) 次に、議事部長をして諸般の報告をいたさせます。

〇議事部長(別宮浩志君) 平成二十五年九月十一日付東京都告示第千三百二十三号をもって、知事より、本定例会を招集したとの通知がありました。
 また、同日付で、本定例会に提出するため、議案十九件の送付がありました。
 次に、地方自治法第百七十九条第一項の規定に基づき専決処分した都民の健康と安全を確保する環境に関する条例の一部を改正する条例の一部を改正する条例の報告及び承認について、依頼がありました。
 次に、平成二十五年第一回臨時会の会議において同意を得た監査委員の任命について、発令したとの通知がありました。
 次に、地方公共団体の財政の健全化に関する法律の規定により、健全化判断比率及び資金不足比率について、それぞれ報告がありました。
 次に、東京都債権管理条例に基づく私債権放棄について報告がありました。
 次に、地方自治法第百八十条第一項の規定による議会の指定議決に基づき専決処分した訴えの提起、損害賠償額の決定及び和解に関する報告がありました。
 次に、教育委員会委員長より、平成二十五年度東京都教育委員会の権限に属する事務の管理及び執行の状況の点検及び評価、平成二十四年度分について報告がありました。
 次に、監査委員より、例月出納検査の結果について報告がありました。
 また、平成二十五年定例監査、平成二十四年度執行分の結果について報告がありました。
(別冊参照)

〇議長(吉野利明君) 次に、前回欠席いたしました説明員をご紹介いたします。
 選挙管理委員会事務局長影山竹夫君。
   〔理事者挨拶〕

〇議長(吉野利明君) 以上をもって説明員の紹介は終わりました。

〇議長(吉野利明君) 次に、二〇二〇年オリンピック・パラリンピック競技大会開催都市決定に伴う派遣について申し上げます。
 本議会において、去る九月五日から十日までブエノスアイレス市へ代表団を派遣いたしました。
 代表団を代表いたしまして、川井しげお君より、報告のため発言の申し出がありますので、これを許します。
 百十九番川井しげお君。
   〔百十九番川井しげお君登壇〕

〇百十九番(川井しげお君) 二〇二〇年オリンピック・パラリンピック競技大会開催都市決定に伴う議員派遣の概要につきまして、ご報告を申し上げます。
 この派遣は、特定非営利活動法人東京二〇二〇オリンピック・パラリンピック招致委員会からの要請、依頼を受け、東京都や招致委員会と一体となった招致活動を行うことを目的として実施をいたしました。
 吉野利明議長を団長とした派遣団十五名は、平成二十五年九月五日から十日までの六日間、第百二十五次IOC総会が開催されるアルゼンチン共和国ブエノスアイレス市に訪問をいたしました。
 九月六日、まず派遣団は、独立行政法人国際協力機構JICAアルゼンチン事務所に向かいました。事務所では、事業内容と五輪招致協力事業についての説明を受けた後、同席した社団法人在亜日本語教育連合会の代表らと会談をいたしました。
 同連合会は、JICAの後援のもと、オリンピック・パラリンピック東京招致を願い、当地で日本語を学ぶ日系人子弟を対象に、五輪招致を願う絵画、作文コンクールを実施しており、その取り組み状況について説明を受けました。外務省、大使館を通し、世界各国でこのような努力がなされていたかと思うと、感謝の気持ちでいっぱいでございました。
 派遣団は、東京招致への応援に感謝を述べるとともに、互いに心を合わせて日本開催をかち取ろうと呼びかけ、士気を高めました。
 次に、ブエノスアイレス市議会を表敬訪問し、大歓迎を受けました。吉野団長から、今回のブエノスアイレス訪問の趣旨を述べ、市議会関係者や詰めかけた地元報道関係者を前に、東京招致に向けた強い決意をアピールいたしました。
 続いて、ブエノスアイレス市役所を表敬訪問し、市の最高幹部と会談し、改めて二〇二〇年東京大会招致を強く訴えました。訪問した市議会、市役所いずれからも、東京開催を支持する旨の言葉をいただくことができました。
 その後、派遣団を代表して、吉野団長と私は、コロン劇場で開催されたIOC主催によるオープニングセレモニーに出席し、東京の熱意を示すことにも怠りなく汗をかきました。
 ここまでの間、団員は移動中の航空機内、ブエノスアイレス滞在中、最後の最後まで機会を捉えて、東京招致のPRに努めていたことを申し添えます。
 翌九月七日、いよいよIOC総会において、二〇二〇年オリンピック・パラリンピック開催都市が決定される運命の朝を迎えました。
 総会には、派遣団を代表して、吉野団長、吉原議員、中嶋議員及び私の四名が出席をしました。そこでは、柔道の元金メダリストの山下選手を連れ立って、各国のIOC委員と挨拶、ハグを交わすなど、東京の熱意を感じ取っていただくため、投票直前までロビー活動を重ねた後、プレゼンテーションや投票の状況を見守りました。
 東京のプレゼンテーションは、オリンピック精神やスポーツの持つ力、日本人のおもてなしの心を訴えながら、質の高い計画、確実で安全な開催能力をアピールするもので、IOCの委員を捉えたすばらしい内容でありました。
 第一回目の投票でイスタンブールとマドリードが同じ票数を獲得、最下位を決める第二回目の投票でマドリードが落選、続く東京とイスタンブールによる決選投票の結果、九十七票中、東京が六十対三十六の大差で圧勝、IOCロゲ会長から、開催都市東京が決定したことが発表されました。
 決定の瞬間の東京代表団の歓喜、感動は、今さら申し上げるまでもございません。拳を振り上げる方、抱き合って喜ぶ方、感動の涙にむせぶ方、全世界に報道されたとおりでございます。
 なお、この間、四名以外の派遣団員は、日本から応援ツアーで駆けつけた大勢の方々とともに、総会会場に向かう東京代表団を盛大に送り出すとともに、ビューイング会場において総会の状況を見守り、声援を送りました。ビューイングでは、約二百名から成る東京応援団をリードし、会場内の盛り上げ役として活躍をしました。そして、日本国民の盛り上がりを海外のメディアを通して全世界に知っていただくだけの原動力になったものと考えております。
 夜の祝勝会では、安倍首相、森元首相、猪瀬知事らに続き、吉野団長が挨拶に立ち、東京招致にご協力をいただいた方々に御礼を申し上げるとともに、今後、都議会としても、二〇二〇年東京大会を成功させていく決意を述べました。
 翌八日、派遣団は、東京招致決定の感動とともに、ブエノスアイレス空港から帰途につき、翌々日、無事に帰国をいたしました。
 二〇二〇年東京大会は、日本経済を再生させ、そして大震災から立ち直った姿を示すことにより、世界に対し、人類がどんな逆境からも立ち上がれることをアピールするとともに、東京を世界一の都市へと飛躍させる起爆剤となるものであり、団員一同、成功に向け全力で取り組んでいく決意を新たにしたところであります。
 最後に、国民、都民、そして都職員、かかわってこられた全ての方々に感謝を申し上げ、二〇二〇年オリンピック・パラリンピック競技大会開催都市決定に伴う派遣団の代表としての報告といたします。
 ご清聴ありがとうございました。(拍手)

〇議長(吉野利明君) 以上をもって二〇二〇年オリンピック・パラリンピック競技大会開催都市決定に伴う派遣の報告は終わりました。

〇議長(吉野利明君) 次に、日程の追加について申し上げます。
 知事より、東京都名誉都民の選定の同意について三件が提出されました。
 これらを本日の日程に追加いたします。

〇議長(吉野利明君) 会期についてお諮りいたします。
 今回の定例会の会期は、本日から十月十一日までの二十四日間といたしたいと思います。これにご異議ありませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

〇議長(吉野利明君) ご異議なしと認めます。よって、会期は二十四日間と決定いたしました。

〇議長(吉野利明君) この際、知事より発言の申し出がありますので、これを許します。
 知事猪瀬直樹君。
   〔知事猪瀬直樹君登壇〕

〇知事(猪瀬直樹君) 平成二十五年第三回都議会定例会の開会に当たりまして、都政運営に対する所信の一端を申し述べ、都議会の皆様と都民の皆様のご理解、ご協力を得たいと思います。
 まず、アジアで初めての二度目のオリンピック、二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピックの招致成功に当たって、都議会の皆様、都民、国民の皆様、政府、国会、全国の自治体、スポーツ界、経済界の皆様、東京を応援していただき、世界中の皆様に心から感謝申し上げます。勝利の瞬間、吉野利明議長とかたい握手を交わし、現地で応援していただいた都議会の皆様と喜びを分かち合いました。今この場で、ともに戦った都議会の皆様に直接、勝利の報告ができますことを、大変うれしく思っております。まことにありがとうございました。
 そして、切磋琢磨することで開催計画の質を高め、磨き合った好敵手、ともに同じ目標を目指した友人であるイスタンブール、マドリードの皆様に、心から敬意を表するものであります。
 決戦の場、ブエノスアイレスでは、招致委員会の竹田理事長、水野副理事長を初め、チーム日本が本当に一つにまとまって、最高の状態で本番を迎えました。
 安倍総理の自身のアーチェリーの経験をもとにした熱のこもったプレゼンテーションは、オリンピックムーブメントに貢献したいという我々の願いが本物であることを、IOCの委員に強烈に印象づけました。さらに、福島第一原子力発電所の汚染水漏れ問題に政府として本気で取り組む覚悟を示されたのです。
 気仙沼出身のパラリンピアンの佐藤真海さん、オリンピアンの太田雄貴さんのプレゼンテーションは、スポーツの力を信じ、開催を熱望する日本人の思いを純粋、素直にあらわしたものでした。ユース五輪のトライアスロン金メダリストの佐藤優香さんとともに、フェアプレーと未来への可能性を想像させる三人のアスリートの姿は、委員の心をつかんだに違いありません。
 ローザンヌのテクニカルブリーフィングから引き続いて登壇した滝川クリステルさんは、流暢なフランス語で、伝統とモダンが融合した東京ならではの魅力とおもてなしを訴えました。
 不確実な時代に確実な大会運営、これを可能にするのが社会の力であり、都市の力です。私は、開催都市の知事として、アスリートファースト、それを担保する財政、輸送インフラといった東京の都市力、東京の安全と安心、これから百年も二百年も続くオリンピックムーブメントの、オリンピック・パラリンピックのために残る大会のレガシーをアピールしました。
 そして、三笠宮家の彬子女王殿下、高円宮妃殿下によるブエノスアイレスご訪問は、私どもに大きな勇気を与えてくださいました。妃殿下がIOC総会で被災地支援への感謝、復興への思いを語られたことは、人々に強い感銘を与えました。
 そして、何よりも大きな力になったのは、この間、招致活動を支えてきた都民、国民の熱い声援、オリンピック・パラリンピックを開催したいという強い思いでありました。この勝利は、国民みんなでかち取った宝物、東京だけではない、日本全体のオリンピック・パラリンピックなのです。
 IOCのジャック・ロゲ会長から、東京という名前が告げられた瞬間、あの体の内側から沸き起こるような身震い、感動を忘れることはできません。しかし今、時がたつにつれて、日増しに喜びよりも開催都市の知事としての責任感が大きくなってきているのです。
 日本は、オリンピック・パラリンピックという輝かしい旗を手にしました。これを高く掲げながら、被災地の復興をさらに加速させ、ハードのみならず、心の復興をもなし遂げることで、全国に自信と希望を行き渡らせてまいります。スポーツをする人をもっとふやし、平和でよりよい世界の実現、オリンピックムーブメントの拡大に貢献してまいります。パラリンピックの開催都市にふさわしく、ユニバーサルデザインのまちづくりを進め、障害者スポーツを盛り上げ、二百七十万人の観客が熱狂したロンドン大会を上回るパラリンピックを目指します。
 開催までの七年間、そして七年後の大会開催時には、多くの外国人が日本を訪れます。芸術文化の振興を図りながら、アジア随一の観光都市を目指して、ホスピタリティーにますます磨きをかけていきたいと思います。
 招致から開催準備へ、舞台は第二幕に移ります。まずは、全庁横断的な大会実施準備会議を立ち上げました。また、政府や、JOCを初めスポーツ界、経済界など緊密な連携を図りながら、オールジャパンの体制を整えるべく、大会の運営主体となる組織委員会の立ち上げ準備を始めていきます。
 都議会の皆様、都民、国民の皆様、より一層のご支援をよろしくお願い申し上げます。
 さらにもう一つ、東京に注目が集まる出来事がありました。先週十四日、イスタンブールで開かれた国際水協会、IWAの理事会で、二〇一八年国際水協会世界会議の開催都市が東京に決定しました。六千名に上る関係者が二年に一度、一堂に会する、上下水道の分野では世界最大規模の会議であり、オリンピック・パラリンピック招致成功に続く快挙であります。蛇口から直接飲める安全でおいしい水や、高度な下水処理による安全で快適な水環境など、東京の持つ都市力を世界にアピールし、上下水道の国際貢献ビジネスも推し進めます。
 招致活動の中で私が意識していたのは、東京は世界の中のフロントランナーであるということです。我々が克服してきたごみや公害、大気汚染といった問題に、今、世界の多くの都市が苦しんでいます。先般、東京都は環境の分野において、C40・シーメンス大都市気候リーダーシップ賞を受賞しました。都市型キャップ・アンド・トレード制度が、持続的な都市の成長を可能にするすぐれた取り組みとして評価されたものであります。
 私たちは、二〇二〇年大会のビジョンとして、ディスカバー・トゥモローを掲げました。世界の中であしたに最も近い東京の挑戦こそが、日本全体に安心をつくり、そこから希望、そして成長へという道筋を描くことができるのです。それは、人類全体の利益にもつながっていきます。
 これまで「二〇二〇年の東京」を羅針盤に、防災対策、エネルギー政策など、先進的、具体的な取り組みを進めてまいりました。さらにその先には、少子高齢化、人口減少社会の到来といった、我々の社会や生活の存立そのものを危うくしかねない根本的な問題が横たわっています。「二〇二〇年の東京」をさらに進化させながら、この根本的な問題にも本腰を入れて取り組むため、東京の十年後の姿を示す新たな長期ビジョンを十二月を目途に策定いたします。
 東京オリンピック・パラリンピックを推進力として、将来への礎を築き、東京を安心、希望、成長を実感できる世界一の都市、一人一人が輝く都市にしたいと思います。従来の枠を超えた新しい発想を引き出すため、庁内横断のプロジェクトチームでも検討を進め、その成果を長期ビジョンに反映させてまいります。
 新たな長期ビジョンの策定と来年度の予算編成は、これから本格化します。今回の所信表明では、知事として考える都政の方向性の一端を申し述べ、都議会の皆様と議論を重ねることで、今後具体的な政策に結実させていきたいと思います。
 まず、都民の安全・安心を守る、これが何よりも大切なことです。安心を実感することなくして、将来への希望を持つことも、成長のための自由な発想を生み出すこともかないません。安全・安心こそ都市の礎であると思います。これを全力で守ってまいります。
 先般、渋谷地区の治安状況を視察する機会を持ちました。実際に渋谷のセンター街を歩き、地域を守る防犯ボランティアの方々ともお会いしました。自分の時間を割いて公のために尽くす皆さんの姿に、本当に頭が下がる思いでありました。また、渋谷駅前の交番では、現場の警察官を激励しました。地域、警察、それらを支える行政、この三つの力が合わさることで、東京の安全・安心は守られるのです。良好な治安は、二〇二〇年大会を東京に引き寄せる大きな力にもなりました。
 来月で安全・安心まちづくり条例が施行されて、ちょうど十年になります。この間、防犯ボランティア組織は、都内で百五十団体から四千団体へと二十六倍にふえ、都内の犯罪認知件数は四割減少しました。条例は大きな効果を上げてきていると思います。
 一方で、息子などを名乗って高齢者などからお金をだまし取る、母さん助けて詐欺を初め、ますます複雑化してきた身近な犯罪に対する都民の不安感は、今なお解消されておりません。警視庁では犯罪の撲滅に向けて取り締まりを強化するとともに、ツイッターを使って、犯罪の発生やその手口を発信しています。こうしたリアルでスピード感ある情報発信は、みんなの力で犯罪を防ごうという都民の意識にもつながってくると思います。
 また、消費生活行政を担う生活文化局では、悪質商法による被害を防ぐため、その巧妙な手口をツイッターで都民に発信するとともに、悪質事業者通報サイトを設け、立入調査や業務停止命令などの取り締まりも積極的に行っております。
 東京都は、こうした取り組みを強化しながら、防犯ボランティアのリーダー育成や、町会、商店街による防犯カメラの設置を支援するなど、安全・安心まちづくりの取り組みをさらに進めていきます。社会の総力を結集することで地域の安全を守ってまいります。
 続いて、震災対策について申し上げます。
 大規模災害の発生時には、七十二時間以内の初動対応の成否が、多くの命を救えるかどうかの鍵となります。災害発生直後に全国から集まる自衛隊、警察、消防などの救援部隊が一刻も早く効果的な救出活動を開始できるよう、受け入れの手順などを具体的に定めた首都直下地震等対処要領の策定を進めています。十一月に行う総合防災訓練で検証し、新たにわかった問題を対処要領に反映させます。年度内の完成を目指して、より実践的なものにブラッシュアップしてまいります。
 災害発生時に電力が途絶した場合に備え、救援部隊や避難された方々のために非常用の電力を確保しなければなりません。既に足立区の舎人公園では、四千八百キロワットの非常用発電設備の整備が具体的に進んでおりますが、さらに都立の防災公園などへの自立電源の設置を検討するため、庁内にプロジェクトチームを立ち上げました。より効果的な応急活動、救護活動が展開できないか詳細な調査を行ってまいります。
 この夏は、豪雨災害が全国各地で発生し、都内でもゲリラ豪雨に見舞われて浸水被害が発生しました。東京都はこれまで環状七号線の地下に巨大な調節池を整備し、現在も渋谷区と港区を流れる渋谷川、古川の水害を防ぐための地下調節池や、石神井川と白子川を結ぶ調節池の整備を進めています。今年度から河川ごとに治水対策のレベルを引き上げ、区部では時間七十五ミリ、多摩で時間六十五ミリの降雨に対応できるよう取り組んでおります。あわせて、下水道についても、地盤が低く浸水しやすい地区で、既存の幹線の下に新しい幹線を整備するなど、重点的に対策を講じ、浸水対策のレベルアップを図っていきます。都民生活を守るため、都市型水害への対策を強力に推し進めてまいります。
 都心部での集中豪雨とは対照的に、ことしの夏、利根川上流の水源地に雨が少なく、首都圏は渇水に見舞われ、一〇%の取水制限を余儀なくされました。前の政権が地方政府の意見を聞くことなく一方的に本体工事を中止した八ッ場ダムが、首都圏において治水上も利水上も不可欠であることは明らかです。
 今般、国から八ッ場ダムについて、平成二十七年度完成予定から平成三十一年度完成予定へと、工期を四年間延伸することに対して意見照会がありました。これ以上時間を空費するわけにはまいりません。本定例会には、速やかに本体工事に着手し、一日も早く完成させること、事業費が増額しないよう徹底したコスト縮減に取り組むことを前提に、工期延長に同意する議案を提案しております。よろしくご審議のほどお願いいたします。
 来月には、三郷浄水場の高度浄水施設が完成し、供給を開始いたします。平成元年から四半世紀にわたって、利根川水系の浄水場に高度浄水処理を段階的に導入してまいりましたが、このたび一〇〇%高度浄水処理された水となります。さらにレベルアップした東京の水道水を、都民、そして東京を訪れる全ての皆様にお届けしたいと思っております。
 私たちには、二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピック開催という、しかとした目標があります。この目標に向かって前へ進み、これまで申し上げてきた安全と安心をしっかりと固めながら、あしたへの希望をさらに大きなものにしていきたいと思います。
 私たちの先に横たわる少子高齢化、人口減少社会という根本的な問題に取り組んでいくため、先般、副知事をトップとする構造的福祉プロジェクトチームを立ち上げました。
 私はあえて構造的福祉と命名しました。人間の生活が縦割りでない以上、福祉の問題もそれ単体ではなく、構造として捉えていかなければ、有効な対策を打つことはできないからであります。若者の雇用やボランティアなどの社会参加、女性や高齢者の就労、住宅の問題といった、背後や横から影響を与えている事柄にも目を向けてまいります。将来を見据えた中長期の視点で検討を進めながらも、待ったなしの問題や、すぐに手をつけることができるものは、来年度予算に反映します。
 東京都では、現在、スマート保育や高齢者のケアつき住まいといった東京モデルを展開しています。今年度から新たに始めた東京スマート保育も、既に豊島区と杉並区で開設されました。これからもさらにふえていきます。こうした区市町村や民間事業者への支援を中心とした施策展開に加えて、この構造的福祉プロジェクトでは、都有地などの資産も活用していくなど、東京都みずからもより積極的にかかわっていく少子高齢対策を検討してまいります。
 人々が世代を超えて交流することも大事なことだと思います。私は、一定のプライバシーを確保しながら、共同生活を通じて住人同士が触れ合うシェアハウスという新しい住まい方が、多様な世代が支え合うかけ橋にならないかと考えております。高齢者が持つ人生の知恵は若者の生きる力を高め、若者がもたらす最新の情報や活発なエネルギーは高齢者の生きがいにもつながると思います。もちろん、ほかにもさまざまな交流の形があり得ると思います。NPOや民間の先行的な知見を活用しながら、来年度のモデル事業の実施を視野に施策を練り上げてまいります。
 東京都が検討している都立の小中高一貫教育校は、子供の成長の舞台である学校に新たな選択肢を示すものです。従来の六・三・三の教育課程ではなく、四・四・四のまとまりで、理数教育に力を入れたカリキュラムにしていきたいと考えています。子供の才能を伸ばすため、先取りした内容を学べる実質的な飛び級を実現するほか、海外留学や専門的な学習を行う時間を充実させるなど、十二年の一貫教育の利点を存分に生かしていきます。今後、具体的なカリキュラムの構築など必要な準備を進め、平成二十九年四月の開校を目指してまいります。
 学校や保育所での安全・安心も高めていきます。いじめ問題などに対応する心理の専門家であるスクールカウンセラーを、今年度から都内の公立小中高等学校二千百校全てに配置しました。また、時に重大な事態を引き起こす給食による食物アレルギーへの対応マニュアルを作成しました。都内の保育所、幼稚園、小中高等学校で、緊急時の対応や日ごろからの研修に活用していきます。迷ったらとにかく注射型の補助治療薬を打つことを明確にするなど、現場の教員や保育士が迷わず対処できる実践的な内容にしています。
 子供たちの健やかな成長はみんなの願いです。未来の希望を担う子供たちのため、現場第一をモットーに、知事として教育委員会とより一層、意思疎通を図り、協力しながら教育の問題に臨んでまいります。
 日本は、一九九〇年代以降の二十年間、GDPが五百兆円のまま変わらない、むしろ最近は五百兆円を下回る停滞の季節でありました。安心と希望を確固たるものにしていくためには、日本は停滞から抜け出し成長へと、時代の転換を果たさなければなりません。二〇二〇年の東京オリンピック・パラリンピックは、そのための重要な国家戦略ともなります。東京は、首都政府として日本の成長を牽引してまいります。
 東京都は、海外企業のアジア拠点を呼び込むことで、東京と日本の次なる成長を目指すアジアヘッドクオーター特区の取り組みを進めています。先般、誘致第一号として、ベルギーの太陽光発電関連企業の研究開発拠点が進出することに決まりました。東京都が提供する無料コンサルティング支援により、日本企業と合弁会社を立ち上げたものです。これからも外国企業の誘致を積極的に推進し、東京の国際競争力の強化を図っていきたいと思います。
 一方、安倍政権は、ロンドンやニューヨークに匹敵する国際ビジネス環境を整備するため、国家戦略特区の取り組みを進めています。先週、東京都として法人税の引き下げを初め、教育や医療の規制緩和により外国人が生活しやすい環境を整えるなど、これまで特区で進めてきた取り組みをさらにバージョンアップした国家戦略特区のプロジェクトを提案しました。ロンドン、ニューヨークと比肩し得る都市は、東京をおいてほかにありません。安倍政権が投げた国家戦略特区というボールを、二〇二〇年大会の開催都市である東京都としてしっかりと受けとめたいと思います。提案が採用されるよう、皆様のご協力をお願いいたします。
 成長のためには、新しい発想で新たな需要を生み出していかなければなりません。夜や早朝という未開拓の時間帯をフロンティアとして開発することで、人々が生活の楽しさを実感できれば、人生に新たな可能性、新たな物語を加える、物語としての消費が生まれてきます。
 現在、庁内横断で編成した時間市場開発プロジェクトチームで検討を進めております。夏の期間の都立美術館、動物園などの開館時間延長に続き、芸術の秋、スポーツの秋にふさわしい取り組みを進めたいと思います。
 十二月には、渋谷─六本木間の都営バスの終夜運行も始めます。まずは東京都みずからが取り組みを積み重ね、ニーズや効果を検証しながら、国や民間にも波及させていきます。民間を刺激して、そこから新たな市場、需要が生まれる、多様なライフスタイルが生まれる、東京の魅力がさらに増す、この流れを目指してまいります。
 三環状道路は、日本の心臓である東京をさらに力強く鼓動させるために不可欠な路線です。中でも整備がおくれていた外環道については、昨年九月の東名ジャンクション、ことし六月の大泉ジャンクションに続き、先月、中央ジャンクションの工事に着手しました。これで関越道、中央道、東名高速という放射状の大動脈に、外環道という縦串を通すための結節点がそろうことになります。外環道の関越─東名間について、二〇二〇年早期の確実な完成を引き続き政府に強く求めてまいります。
 また、三環状道路の一つである中央環状品川線については、来年度の開通に向けて、東京都と首都高速道路会社とで整備を進めております。環状二号線については、今年度末に新橋─虎ノ門間の供用を開始いたします。これをさらにオリンピック・パラリンピックの競技会場や、選手村となる臨海部につなげる整備事業も、二〇一五年度の開通を目指して急ピッチで進めてまいります。
 環状道路の整備により交通の流れを変えることは、高度経済成長期に整備された首都高速の維持更新がしやすい環境を整えるためにも重要であると思います。さらに、選手村から競技会場への円滑な移動、これを可能にする道路インフラは、アスリートに最高の競技環境を提供する上で欠かせないものであります。東京都はこれからも、首都の道路ネットワークの整備を強力に推進してまいります。
 増大する首都圏の航空需要にも対応しなければなりません。羽田空港のさらなる空港容量の拡大、国際線の増枠を要求してまいります。同時に、実現すれば、首都圏の空港機能の一翼を担い、多摩地域の振興にも大きな効果をもたらす横田基地の軍民共用化に、引き続き取り組んでいきます。二〇二〇年大会開催を契機に、日米協議の促進を政府に強く求めてまいります。
 来月三十日から、東京ビッグサイトで産業交流展を開催いたします。より広い地域からより多くの企業の関係者を呼び込むため、今年度は、国の中小企業基盤整備機構の中小企業総合展と同時開催いたします。さらに、会場内では九都県市が連携し、受注企業と発注企業が一堂に会する大規模マッチング商談会も開催するなど、中小企業の販路拡大を後押ししてまいります。
 中小企業が厳しい競争を勝ち抜いていくためには、その持てる技術をさらに磨いていかなければなりません。テクノロジーは日本の強みであります。近年、樹脂や金属粉末をレーザーなどで固めて立体的な試作品などをつくる3Dプリンターが注目を浴びています。都内でも、こうした装置を活用して新製品の開発にチャレンジする中小企業がふえてきています。都立産業技術研究センターでは、都内の企業が開発し、昨年の産業交流展でベンチャー技術大賞を受賞した最新鋭の3Dプリンターを三台導入しています。こうした高性能の装置を活用しながら、中小企業の技術の強化を後押しし、メード・イン・ジャパンのさらなる飛躍につなげていきたいと思います。
 このほか、中小企業の資金繰りについても、制度融資に、経営や販売のアドバイスなど、金融機関が持つ独自の工夫やノウハウを活用した経営支援策を組み込んだメニューを新たに始めるなど、さまざまな支援策を用意しております。経済に明るい兆しが見えてきたとはいえ、アベノミクスの矢が中小企業にまで届き、その効果を実感できなければ、力強い日本の成長には結びつきません。そのために、東京都はこれからも販路拡大、技術支援、金融支援など、さまざまな政策を構え、東京の中小企業を守り立ててまいります。
 安心、希望、成長を実現するためには、法人事業税の暫定措置を当初の約束どおり撤廃させなければなりません。国に対して強くこの主張をしてまいります。改めて、都議会の皆様の一層のお力添えをお願いいたします。
 次に、名誉都民の選定について申し上げます。
 このたび、名誉都民の候補者として、岡野俊一郎さん、三浦雄一郎さん、森英恵さんの三名の方々を選定させていただきました。
 岡野俊一郎さんは、サッカー日本代表の選手として活躍し、指導者としてメキシコ五輪での銅メダル獲得に貢献するとともに、IOC委員を初め要職を歴任され、日本スポーツ界の発展に尽力してこられました。
 三浦雄一郎さんは、プロスキーヤーとして世界七大陸最高峰からの滑降を達成し、ことし五月にはエベレスト最高齢登頂者記録を更新するなど、常に挑戦する前向きな姿勢で、人々に大きな勇気を与えてこられました。
 森英恵さんは、衣装デザイナーとして海外コレクションの発表で称賛されるなど、日本の伝統文化の要素を取り入れた作品を世界に示すとともに、手づくりの大切さを若手に教え、その育成に尽力してこられました。
 お三方は、多くの都民が敬愛し、誇りとするにふさわしい方々であります。都議会の皆様のご同意をいただき、来月、名誉都民として顕彰したいと考えております。よろしくお願いいたします。
 さて、今月二十八日、味の素スタジアムで行われる国民体育大会の総合開会式を皮切りに、スポーツ祭東京二〇一三が本格的に始まります。全ての区市町村で競技会が開催されますので、都民の皆様、ぜひ競技会に足を運んでいただきたいと思います。二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピックに出場するアスリートも生まれるでしょう。全国から集まる選手たちに熱い声援を送り、スポーツ祭東京を大いに盛り上げ、二〇二〇年大会の招致成功を都民、国民でお祝いする最高の機会にもしたいと思います。
 招致活動を通じて、日本人のホスピタリティーのすばらしさを訴えてまいりました。それが日本の強み、人口の一割が集まる首都東京の強みであるからです。テクノロジー、イノベーション、そしてホスピタリティー、自分たちが持つ強みを意識化して、政策に結実することが東京を元気にする鍵です。
 フランスの哲学者であるアランは、悲観主義の根底は意志を信じないことである、楽観主義は全く意志的であるといいましたが、みずからの強みを武器に挑戦する意志なくして未来は開けません。希望とはまさに、意志の情熱でつくるものなのです。
 二〇二〇年、東京に、日本に、オリンピック・パラリンピックがやってきます。都議会の皆様と力を合わせ、日本の心臓である東京を元気にする政策を生み出し、日本全体に安心、希望、成長のマインドを広げてまいります。そして、復興を遂げた被災地に聖火ランナーが走る姿を、困難に立ち向かった人々の勇気と自信を全世界に届けたいと思います。
 最終プレゼンテーションで映し出されたバスケットボールをする少年の姿は、大きな感動を呼びました。あの少年のように、スポーツの力で世界中の子供たちに夢と希望のきずなをつないでまいります。皆様のご理解、ご協力をお願い申し上げます。
 なお、本定例会には、これまで申し上げたものを含め、条例案八件、契約案九件など、合わせて二十件の議案を提案しております。よろしくご審議をお願いいたします。
 以上をもちまして所信表明を終わります。
 ありがとうございました。

〇議長(吉野利明君) 以上をもって知事の発言は終わりました。

〇六十七番(近藤充君) この際、議事進行の動議を提出いたします。
 本日は、質問に先立ち議事に入り、日程の順序を変更し、追加日程第一から第三までを先議されることを望みます。

〇議長(吉野利明君) お諮りいたします。
 ただいまの動議のとおり決定することにご異議ありませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

〇議長(吉野利明君) ご異議なしと認めます。よって、質問に先立ち議事に入り、日程の順序を変更し、追加日程第一から第三までを先議することに決定いたしました。

〇議長(吉野利明君) 追加日程第一から第三まで、東京都名誉都民の選定の同意について三件を一括して議題といたします。
   〔別宮議事部長朗読〕
一、東京都名誉都民の選定の同意について三件
二五財主議第二七七号
平成二十五年九月十八日
東京都知事 猪瀬 直樹
 東京都議会議長 吉野 利明殿
   東京都名誉都民の選定の同意について
 このことについて、左記の者を東京都名誉都民に選定いたしたいので、東京都名誉都民条例第三条の規定により、東京都議会の同意についてよろしくお取り計らい願います。
       記
     岡野俊一郎

      略歴
現住所 東京都文京区
岡野俊一郎
昭和六年八月二十八日生
昭和六年   東京市下谷区(現東京都台東区上野)生まれ
昭和二十一年 東京都立第五中学校(現東京都立小石川中等教育学校)サッカー部入部
昭和二十五年 東京大学サッカー部入部
昭和二十八年 第一回全国大学サッカー大会(現全日本大学サッカー選手権大会)優勝
昭和三十年  サッカー日本代表選手、ビルマ連邦(現ミャンマー連邦共和国)及びタイ王国遠征
昭和三十二年 東京大学文学部心理学科卒業
昭和三十九年 第十八回オリンピック競技大会(東京)日本代表選手団サッカーチームコーチ
昭和四十二年 日本蹴球協会(現公益財団法人日本サッカー協会)理事
昭和四十三年 第十九回オリンピック競技大会(メキシコシティ)日本代表選手団サッカーチームコーチ、銅メダル獲得
昭和四十四年 サッカー日本代表監督
昭和五十年  財団法人日本体育協会理事
昭和六十年  外務大臣表彰
平成元年   財団法人日本オリンピック委員会専務理事
平成二年   国際オリンピック委員会委員
同年     NHK放送文化賞
同年     藍綬褒章(スポーツ振興功労)
平成三年   東京都文化賞
同年     財団法人日本体育協会参与
同年     財団法人日本オリンピック委員会理事
同年     社団法人日本プロサッカーリーグ理事
平成十年   財団法人日本サッカー協会会長
同年     社団法人日本プロサッカーリーグ参与
同年     財団法人二〇〇二年ワールドカップサッカー大会日本組織委員会副会長
同年     財団法人二〇〇二年ワールドカップサッカー大会日本組織委員会実行委員会委員長
平成十三年  総務大臣賞
平成十四年  財団法人日本サッカー協会名誉会長
平成十五年  日本サッカーミュージアム初代館長
平成十六年  旭日中綬章
平成十七年  第一回日本サッカー殿堂入り
平成二十年  財団法人日本サッカー協会最高顧問
平成二十四年 国際オリンピック委員会名誉委員
同年     文化功労者

      事績
岡野俊一郎
昭和六年八月二十八日生
 昭和六年八月二十八日、東京市下谷区(現東京都台東区上野)に生まれる。
 昭和二十一年、東京都立第五中学校(現東京都立小石川中等教育学校)のサッカー部に入部し、以来サッカーとともに歩む。
 昭和二十五年、進学した東京大学でもサッカー部に入部し、昭和二十八年、第一回全国大学サッカー大会で優勝する。
 昭和三十年、サッカー日本代表の選手として、ビルマ連邦(現ミャンマー連邦共和国)及びタイ王国へ遠征する。
 昭和三十九年、第十八回オリンピック競技大会(東京)に、日本代表選手団サッカーチームのコーチとして参加。昭和四十三年の第十九回オリンピック競技大会(メキシコシティ)でも、日本代表選手団サッカーチームのコーチとして参加し、銅メダルを獲得する。
 昭和四十二年、日本蹴球協会(現公益財団法人日本サッカー協会)の理事に就任、同協会が昭和四十九年に財団法人日本サッカー協会となった後も理事として尽力し、平成十年、同協会会長に就任する。
 財団法人二〇〇二年ワールドカップサッカー大会日本組織委員会副会長及び同委員会実行委員会委員長として、平成十四年のアジア初のFIFAワールドカップを、日本と韓国との大会史上初となる共同開催とし、成功に導く。
 日本のプロサッカーリーグ創設についても尽力し、平成三年、社団法人日本プロサッカーリーグ理事に就任し、平成十年からは参与として同リーグの発展に大きく寄与する。
 平成十五年、日本サッカーミュージアムの初代館長に就任する。平成十七年、永年にわたる日本サッカー界での顕著な貢献が評価され、公益財団法人日本サッカー協会が設置した第一回日本サッカー殿堂入りの二十名のうちの一人として日本サッカーミュージアム内に掲額される。
 その功績は、日本サッカー界にとどまらず、昭和五十年、財団法人日本体育協会理事に就任して以来、同協会参与となった現在に至るまで、日本スポーツ界の振興に多大な貢献をしている。
 更に、平成元年には、財団法人日本オリンピック委員会の初代専務理事に就任。以来、同委員会理事を退任する平成二十五年六月までの永きにわたり、同委員会を牽引する。
 また、国際オリンピック委員会においても、平成二年に委員に就任して以降、永年にわたり日本スポーツ界を代表する一人として国際的に幅広く活躍し、現在は同委員会名誉委員を務める。
 六十余年前、サッカー選手としてスタートし、指導者として選手育成に当たった氏は、その後、公益財団法人日本体育協会、公益財団法人日本サッカー協会、公益社団法人日本プロサッカーリーグ等の要職を歴任し、日本スポーツ界の発展に貢献した。
 また、公益財団法人日本オリンピック委員会理事及び国際オリンピック委員会委員を永きにわたり務められた。
 日本スポーツ界を代表し、国際的にも幅広く活躍された氏の功績は多大であり、今も尽力し続ける姿は、広く都民が敬愛し、誇りとするところである。
二五財主議第二七八号
平成二十五年九月十八日
東京都知事 猪瀬 直樹
 東京都議会議長 吉野 利明殿
   東京都名誉都民の選定の同意について
 このことについて、左記の者を東京都名誉都民に選定いたしたいので、東京都名誉都民条例第三条の規定により、東京都議会の同意についてよろしくお取り計らい願います。
       記
     三浦雄一郎

      略歴
現住所 東京都渋谷区
三浦雄一郎
昭和七年十月十二日生
昭和七年   青森県青森市生まれ
昭和三十一年 北海道大学獣医学部卒業
       同大学獣医学部薬理学教室教官助手
昭和三十七年 プロスキーヤーとして活動を開始
昭和三十九年 イタリア共和国のキロメーターランセ(スピードスキー競技)に日本人として初参加、時速百七十二・〇八四キロメートルの世界新記録
昭和四十一年 富士山直滑降(スキー界で初のパラシュートブレーキを使用)
同年     オーストラリア大陸最高峰コジアスコをスキー滑降
昭和四十二年 北米大陸最高峰マッキンレーをスキー滑降
昭和四十五年 アジア大陸最高峰エベレスト・サウスコル八千メートルの世界最高地点からスキー滑降
昭和五十三年 北極圏最高峰バーボーピークをスキー滑降
昭和五十六年 アフリカ大陸最高峰キリマンジャロの登頂及びスキー滑降
昭和五十八年 南極大陸最高峰ビンソン・マッシフの登頂及びスキー滑降
昭和六十年  ヨーロッパ大陸最高峰エルブルースの登頂及びスキー滑降
同年     南米大陸最高峰アコンカグアの登頂及びスキー滑降、人類初となる世界七大陸最高峰のスキー滑降を達成
平成二年   社団法人日本職業スキー教師協会顧問
平成十五年  エベレストの世界最高齢登頂者の記録(七十歳と二百二十三日)を樹立
同年     内閣総理大臣表彰
同年     青森県民栄誉賞
同年     北海道功労賞
平成二十年  二回目のエベレスト登頂成功
平成二十五年 エベレストの世界最高齢登頂者の記録(八十歳と二百二十四日)を樹立

      事績
三浦雄一郎
昭和七年十月十二日生
 昭和七年十月十二日、青森県青森市に生まれる。
 昭和三十一年、北海道大学獣医学部を卒業し、同大学獣医学部薬理学教室教官助手となる。
 昭和三十七年、プロスキーヤーとして活動を開始する。
 昭和三十九年、イタリア共和国のキロメーターランセ(スピードスキー競技)に日本人として初参加し、時速百七十二・〇八四キロメートルの世界新記録を樹立する。
 昭和四十一年、スキー界で初のパラシュートブレーキを使用し、富士山直滑降に成功する。
 同年、オーストラリア大陸最高峰コジアスコからのスキー滑降に成功したのを皮切りに、昭和四十二年北米大陸最高峰マッキンレー、昭和四十五年アジア大陸最高峰エベレスト、昭和五十六年アフリカ大陸最高峰キリマンジャロ、昭和五十八年南極大陸最高峰ビンソン・マッシフ並びに昭和六十年ヨーロッパ大陸最高峰エルブルース及び南米大陸最高峰アコンカグアにおけるスキー滑降の成功により、史上初の世界七大陸最高峰からのスキー滑降という記録を達成する。中でも、昭和四十五年のエベレスト・サウスコル八千メートルからのスキー滑降は、世界最高地点からのスキー滑降としての記録を樹立した。
 五十歳代後半で、一旦は冒険の第一線から退いたが、次男・豪太氏の第十七回オリンピック冬季競技大会(リレハンメル)の出場や、父・敬三氏が九十九歳でのモンブランの氷河のスキー滑降を目指し訓練している姿に触発され、七十歳でのエベレスト登頂を目標に掲げ、訓練を開始する。
 平成十五年、エベレストの世界最高齢登頂者の記録(七十歳と二百二十三日)を樹立する。
 平成十八年、七十五歳でのエベレスト登頂への訓練を開始した直後、心房細動・不整脈を発症し、同年及び平成十九年の二回の手術を受ける。
 平成二十年、七十五歳と二百二十八日で、二回目のエベレスト登頂に成功した。
 平成二十一年の骨盤及び大腿骨付根骨折、平成二十四年及び平成二十五年の不整脈再発による二回の手術を経て、同年五月、三回目のエベレスト登頂を成功させ、世界最高齢登頂者の記録(八十歳と二百二十四日)を樹立する。
 同年六月、安倍内閣総理大臣は、このたびの業績をたたえ、新たな内閣総理大臣表彰として「三浦雄一郎記念日本冒険家大賞」を創設することを決定した。
 年齢にかかわりなく、困難な目標に常に挑戦し続ける氏の前向きな姿勢と、このたびの快挙は、高齢者の希望として、人々に大きな夢と勇気を与えるとともに、広く都民が敬愛し、誇りとするところである。
二五財主議第二七九号
平成二十五年九月十八日
東京都知事 猪瀬 直樹
 東京都議会議長 吉野 利明殿
   東京都名誉都民の選定の同意について
 このことについて、左記の者を東京都名誉都民に選定いたしたいので、東京都名誉都民条例第三条の規定により、東京都議会の同意についてよろしくお取り計らい願います。
       記
     森  英恵

      略歴
現住所 東京都港区
森  英恵
大正十五年一月八日生
大正十五年  島根県鹿足郡六日市村(現島根県鹿足郡吉賀町)生まれ
昭和十二年  東京市杉並区へ転居し、杉並区立桃井第三小学校に転入
昭和二十二年 東京女子大学卒業
昭和二十三年 ドレスメーカー女学院に入学
昭和二十六年 新宿にスタジオ「ひよしや」設立
昭和二十九年 銀座にブティック&サロン「ハナヱ・モリ」オープン
同年     日本映画の衣裳制作を手がけ、以降数百本の映画を担当
昭和四十年  ニューヨークに進出、初の海外コレクション発表
昭和五十年  モナコ公国グレース公妃の招きにより、モナコでファッションショー開催
同年     パリで初のファッションショー開催
昭和五十二年 パリにオートクチュール・メゾンをオープン
同年     パリ・オートクチュール組合に加盟(東洋人として初の加盟)
昭和六十年  ミラノ・スカラ座のオペラ「マダム・バタフライ」の舞台衣裳を担当
昭和六十三年 紫綬褒章
平成元年   フランス、レジオン・ドヌール勲章シュバリエ
同年     文化功労者
平成四年   第二十五回オリンピック競技大会(バルセロナ)の日本選手団公式ユニホームをデザイン
平成五年   皇太子殿下御成婚に際し、雅子さまのローブ・デコルテを制作
平成六年   第十七回オリンピック冬季競技大会(リレハンメル)の日本選手団公式ユニホームをデザイン
平成七年   東京都文化賞
平成八年   文化勲章(服飾デザイン分野で初の受章)
平成十年   財団法人水戸市芸術振興財団理事長
平成十四年  フランス、レジオン・ドヌール勲章オフィシエ
平成十六年  パリでオートクチュールのファイナルコレクション発表
平成十七年  財団法人森英恵ファッション文化財団を設立、同財団理事長
平成二十四年 彫刻の森美術館館長及び美ヶ原高原美術館館長

      事績
森  英恵
大正十五年一月八日生
 大正十五年一月八日、島根県鹿足郡六日市村(現島根県鹿足郡吉賀町)に生まれる。
 昭和十二年、父親の教育方針により東京市杉並区へ転居し、杉並区立桃井第三小学校に転入する。
 昭和二十三年、森賢氏と結婚する。同年、ドレスメーカー女学院に入学する。
 昭和二十六年、新宿にスタジオ「ひよしや」を設立する。
 昭和二十九年、銀座にブティック&サロン「ハナヱ・モリ」をオープン。デザイナーとして活動する一方で、日本映画の衣裳制作者としても活躍する。これまでに担当した映画は、数百本に上り、名監督や大スターとともに銀幕の黄金期を彩った。
 昭和四十年、ニューヨークに進出し、初の海外コレクションを発表する。日本人女性という自らのアイデンティティを重視したコレクションは、「East meets West(東洋と西洋の出会い)」と称賛され、これを機に国際的な活動を開始する。
 昭和五十年、パリで初のファッションショーを開催し、昭和五十二年には、オートクチュール・メゾンをオープンする。東洋人として初めて、パリ・オートクチュール組合に正会員として加盟が認められ、更に国際的に活躍の場を広げる。
 昭和六十年のミラノ・スカラ座のオペラ「マダム・バタフライ」の舞台衣裳をはじめとして、パリ・オペラ座のバレエ「シンデレラ」やザルツブルク音楽祭のオペラ「エレクトラ」の他、国内では創作能「高山右近」や国立劇場の歌舞伎「斑雪白骨城」、新国立劇場のオペラ「アラべッラ」等、洋の東西を問わず、多岐にわたるジャンルの舞台衣裳を手がける。
 平成四年の第二十五回オリンピック競技大会(バルセロナ)及び平成六年の第十七回オリンピック冬季競技大会(リレハンメル)の日本選手団公式ユニホームのデザインを担当する。
 平成十六年、パリでオートクチュールのファイナルコレクションを発表する。
 現在も、国内外の舞台衣裳を幅広く手がけているほか、公益財団法人水戸市芸術振興財団理事長や彫刻の森美術館館長として、文化の振興に寄与する傍ら、「手で創る」をテーマに才能ある若者を世界に送り出すなど若手の育成にも努めている。
 日本人デザイナーのパイオニアとして、日本の伝統文化の要素を取り入れた作品を世界に示した氏の功績は、広く都民が敬愛し、誇りとするところである。

〇議長(吉野利明君) お諮りいたします。
 本件は、いずれも知事の選定に同意することにご異議ありませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

〇議長(吉野利明君) ご異議なしと認めます。よって、本件は、いずれも知事の選定に同意することに決定いたしました。

〇六十七番(近藤充君) この際、議事進行の動議を提出いたします。
 本日の会議はこれをもって散会し、明十九日から二十四日まで六日間、議案調査のため休会されることを望みます。

〇議長(吉野利明君) お諮りいたします。
 ただいまの動議のとおり決定することにご異議ありませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

〇議長(吉野利明君) ご異議なしと認めます。よって、本日の会議はこれをもって散会し、明十九日から二十四日まで六日間、議案調査のため休会することに決定いたしました。
 なお、次回の会議は、九月二十五日午後一時に開きます。
 本日はこれをもって散会いたします。
   午後一時四十七分散会

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